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HELI SQ
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1
'55〜'60early 〜'67〜'70〜 '60s〜 '50s〜'60s early 〜'62〜'64〜 '62〜'63
2
'60s RVN RVN RVN RVN 〜'68〜
3
〜'72〜 '60s 〜'63〜 '60s〜'70s '69 〜'62〜
4
〜'65〜 '67〜'68 '60s '60s 〜'65〜
5
'70s 〜'57〜 〜'68〜'71〜 '63-'64 '70s RVN
6
RVN '60s〜'70s RVN 〜'62〜 '60s〜'70s '60s〜'70s
7
RVN 〜'63〜 〜’68〜 '70s '70s RVN
8
〜'67〜'68〜 RVN '67〜'68 RVN RVN '70s early
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RVN '60s '70s '80s

VMR,VMGR
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1
'50s early '62〜'70s '70s〜'80s '90s〜 '90s '70s
2
'00s〜 '50s〜'60s early '45〜'61 '62〜 '03 '45-'61
3
'60s '45-'61 '61〜'60s late '61〜'70s '80s '90〜
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'50s〜'60s early '70s〜'80s early '70s〜'80s early 1972
TRAINING
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1
'60s '70s '70s '70s '70s '60s
2
'60s '70s '80s '50s〜'60s '60s〜'70s ’60s〜'70s
4
'50s〜'60s '60s '70s '70s ’68〜’88 '70s
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'90〜'00〜 '60s '60s〜'70s '54〜'70s '70s
6
'74 '74 '74 '78〜

VMJ-VMC-VMCJ

VMJ−1は朝鮮戦争の最中に岩国で結成された部隊と聞いています。 ’50年代終りか’60年代初めにVMCとVMJが合体し
て写真偵察と電子偵察部隊としてVMCJ−1,2,3が1st,2nd,3rdMAWにそれぞれ配置され当時MAWの司令部の在った
VMCJ−1は岩国、VMCJ−2はCHERRY POINT、N.C.,VMCJ−3はEL TORO,CALF.に部隊司令部を置き配置されました。

’60年代中頃VMCJ−1は1stMAW司令部と共にVIET NAMへ移転していきました。
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1
’52〜’56 VMJ-1 '52〜'56 VMJ-3 '53〜’56 '58〜'75 '63〜'75 RVN
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'65-'66 '74〜'75 '72 '50s '57s〜’75
3
'50s〜’75  '63〜'75 '57s〜’75  '63〜'75 '68
VMFP-3
それまで各AIR WINGに所属していたVMCJ−1,2,3の部隊から写真偵察用RF−4Bの飛行機のみを集めて海兵航空隊の写真偵察部隊として1975 Sept.にEL TORO基地に司令部を置いて発足しました。それまでは各海兵航空師団の目で在ったのですがそれ以降部隊ロゴにEYES OF THE CORPSと誇らかに記しました。 当店では部隊発足前の’75初頭より当時のことでAIR MAILでやり取りして部隊ロゴの製作に携わりました。なお、正式パッチとしてのフイルムとPHANTOMのパッチもサブパッチとしての赤いバックに飛んでいるスプークのパッチも当時の隊員Capt.Charlie King氏のデザインです。
彼は’76に岩国にてMaj.に昇進いたしました。所属基地はEL TORO,CALIF ’90年秋解隊
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’75〜’80sMed. ’75〜’90 '80s '81〜 '80s '75〜'76
'76 '77〜'78 '79 '76〜'77 '70s '78
'70 late '76 '84〜'85 '80s '80s '80s
4
'80s '78 '88〜'89 '88〜'89 '88〜'89 '88-'89
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'80s '80s '80s '80 '77 '80s
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7
VMAQ−2 PLAYBOYS
’75年秋VMCJ−1,2,3のEAー6Aの飛行機を集めて電子偵察部隊としてVMAQ−2が発足しました。後EA−6B配置で電子線部隊に成る。
分遣隊A,B,C後X,Y,Zを1stMAWに派遣。80年代には大西洋にも分遣隊を派遣。 ’90年秋VMAQ−1,2,3,4へと4部隊に分かれて解隊。

VMAQ−2 PLAYBOYSのBUNNYは余りにも有名でBUNNYがQ−2の正式ロゴと思い違いをしている人が多いのですがVMCJ時代からOFFICIAL Sq.Emb.はGRIFFINでした。当時の部隊員自体が知らない人が多くてBUNNYPATCHが正式のロゴと思っていた隊員が多かったです。VMCJ−2時代には先端が曲がっていたBUNNYの耳が真っ直ぐになり蝶ネクタイとつけて有名なPLAYBOY社のBUNNYと同じ姿になったのは1975年VMAQ−2部隊発足時にPLAYBOY社からの使用許可が降りたからです。

80年代後半に一部分遣隊派遣期間が重なっていますがDET-Yが大西洋方面にも派遣されたからです。
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'75〜'90 '75〜'76 '76〜'80 '78-'90 '70sLate〜 '80s
2
'75〜'76
1977 1977 1978 '78〜'79 '77〜'78
3
'75〜'76 1978 '80s early '80s early ’80med. 1986
4
1985 '84〜'85 1983 '86〜'87 '86 1983
5
'83〜'84 1985 '82 '86〜'87 1988 1988
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'89〜'90 '90 '80s '78〜'79 '80s 1976
7
'75〜'78 '78〜'90 '84〜'90 '90s
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AIRPLANE

私の店に残っている飛行機のパッチは当時各航空機メーカーが作った正式なパッチとは一部色が違います。当時、海兵隊に配属された
飛行機は海軍と同じ機種が多かったので海兵仕様として意識して色が変えられて当時の海兵搭乗員に着用されました。
MCDANELL PHANTOM Uの丸いパッチや、PHANTOM PHLYER,PHERRET,PHYXERの丸いパッチ
RF−4Bの5角形のパッチのバックの赤色などは意識して海兵隊独自の色に変更されました。

皆様が不思議に思われるパッチとしてF−14の海兵バージョンとFA−18(R)写真偵察型のパッチがありと思います。

1972年頃海兵隊2中隊へのF−14 TOMCATの配備が決まりその為の海兵パイロットのF−14搭乗のための訓練が開始されました
その時の部隊VMFA-122からの発注品です。その後、当時、オイルマネーに潤っていたイラン革命前のパーレビ国王
が強引に海兵隊配備予定のF−14を買い付けて海兵隊配備は幻となりました。
FA−18(R)はRF−4Bの後継機としてMCDONNELL DOUGLAS社で開発試作を始めていましたが宇宙衛星の進歩等の
理由により写真偵察機の開発は中止されパッチの試作製造のみで世にでる事のなかったデザインでステッカーのみが私の店に残りました。

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